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黄八丈が誕生した八丈島

東京から南へ287kmの太平洋上にある八丈島は、黒潮の影響で一年中温かく南国情緒あふれる“常春の島”。

「黄八丈」の故郷でもあるこの島の名は、八丈(約24m)の絹織物「八丈絹」から付けられたとも言われています。黄色、樺色、黒色の三色を基調とする「黄八丈」ですが、黄色が主であった時代に、八丈絹から黄八丈へと呼び名が変わっていったと考えられています。

着物を愛し、着続けた方が最後に選び取る、着物の終着点ともいわれる黄八丈。その魅力は、八丈島で自生あるいは栽培される草木のみを使って染色され、手織りで仕上げられる製造工程から生まれます。着るほどに肌になじみ、三代着ても色あせないといわれるほど強く渋みのある色合いは、永遠に人々の心を引き付けます。

黄八丈ヒストリー

江戸で開花した「黄八丈」の歴史

平安時代末期に生まれた八丈島の絹織物が内地に渡ったのは室町時代。幕府に納める年貢代わりでしたが、この習わしは明治時代まで続きました。当初は大名家などが着ていましたが、江戸時代後期には庶民にも親しまれ「黄八丈」と呼ばれるように。人形浄瑠璃の衣装にも採用されます。その後、戦禍の危機を乗り越え、1977年には「国の伝統工芸品」に認定されました。

自然が生む「黄八丈」の三色

黄八丈が三色なのは、島で植物から得られた天然染料が三種しかなかったから、と言われます。黄染にはコブナグサ、樺染はイヌグスの樹皮(島ではマダミ)、黒染にはシイの樹皮が使われます。この三色を巧みに織り上げて縞や格子模様に仕上げる職人の技法によって多彩な色を表現できます。

黄染
(C)タカオカ邦彦

黄色の地に、黒や樺の格子柄や縞は黄八丈の象徴。ツバキやサカキで作る媒染液につける「あくつけ」は鮮やかな黄色の発色に欠かせません。瓶に灰と水を入れ、上澄みの灰汁で揉みつけをします。

樺染
(C)タカオカ邦彦

鳶色とも称されるその色は、赤みのある茶色で樺色と表されます。マダミの樹木の生皮を煮出した「ふし」に糸を漬け込んで染めるのが「ふしづけ」で、回数は15回にも。その後、黄色と同じく「あくつけ」を行って発色を高め、色落ちを抑えます。

黒染
(C)タカオカ邦彦

黄八丈の黒は、綾織りの繊細な文様が美しく、深々と艶やかな漆黒とも言える色彩が映えます。シイの樹皮で染めた後、泥田の泥に含まれる鉄分で媒染する工程を「泥染め」と呼びます。何度も染め重ねるうちに独自の黒色に染め上がります。

「黄八丈」の染色法

(C)タカオカ邦彦

鮮やかな発色と色落ちしにくい黄八丈の強さには、天然染料を用いて十数回も手作業で行う染色(ふしづけ)に加え、ツバキやサカキの灰汁や泥などの媒染液を使って染料を繊維に定着させる工程(あくつけ)が欠かせません。媒染液は、黄染にツバキやサカキの灰汁が使われるなど三色それぞれに最も定着効果が高い天然素材が使われます。その後、整経し手織りすることで、八丈島の天然素材を用いた澄んだ美しい色合いの黄八丈が完成します。

製造工程

(1)精錬
生糸のタンパク質を取り除いて絹糸にします。

(2)ふしづけ
天然染料を煎じた染液を絹糸につけます。

(3)あくつけ
染液で染色した後、媒染液につけます。

(4)水洗・乾燥
水で洗って、天日乾燥します。

(5)整経
経糸(たていと)を巻いて準備する工程です。

(6)製織
高機(たかはた)で手織りします。

黄八丈を未来に伝える

―これまでも、これからも―

平安の世から800年を超える年月を経て受け継がれ、現代になお着物や小物としての魅力を輝かせる黄八丈。そこには、未来に向けて、いまこの時代に求められる個性が際立っています。

その一つが、八丈島にある草木のみを使った植物染料を見出し、染め上げ織り上げてきた自然志向。これは、持続可能性の側面においても、世代を超えて愛されてきた由縁です。

歴史の流れに晒されながらも、これまで残ってきた本物には、これからの時代にまでしっかりと生き続ける価値があることを、黄八丈が伝えてくれます。